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プッタネスカベイビー―二人だけのサンセット(前編)
タカ(仮名/32歳)は、日本で特に定職についたこともなくビルの清掃業だとか、イベントのスタッフなどを短期のアルバイトとして繰り返すいわばフリーターである。昔から世界各地を旅するのが好きな彼は、年の半分をアルバイトに費やし、決まって秋が過ぎ、肌寒い木枯らしが吹き始める季節が訪れると、日本を離れ、どこか異国の地へと足を伸ばした。


アメリカ、ヨーロッパ、インドに東南アジア・・・これまで様々な国へ行った。そして、その土地の人、文化と触れ合った。どこかに移住したいという思いがあるわけではない、何を望むわけでもない。ただ、そんなあてのない空虚な旅が好きだった。

日本には、もう6年も付き合っている彼女がいる、だが結婚はまだ考えていない。「お前は気楽な生活でいいよな」とひがむ学生時代の友人だとか、「早く落ちついた職について結婚をして欲しい」とせがむ親などは、常にうっとうしく感じた。そんなタカの今回の旅の目的地は、ここ数年、目覚しい経済成長を見せている東南アジアの国タイ。駅ビルの地下街でふと手にした一枚のパンフレットがきっかけだった。


山岳民族の女性だろうか・・・」。鮮やかな色合いの衣装に鈴のついたヘンテコな帽子をかぶっている。意思の強そうな目とは逆に優しくゆるんだ口元。その写真の笑顔に何となく引き込まれてしまったのだった。



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アジアを旅するバックパッカーたちのクロスロード
カオサン。タカのタイはそこから始まった。その種の人間にはお決まりのゲストハウス(安宿)、不潔にひげを伸ばし、何度も洗濯しては着まわしているであろう黄色く変色したTシャツとコットンパンツを、皆がみな同じように身につけている。そして、それがあたかも自分たちの個性であるかのように振る舞い、通りを我がもの顔で歩く日本の青年たち。それは、一般的に見ればタカと同じ種の人間なのかもしれないが、孤独な旅をいつも続けてきたタカにとっては、別世界の生き物であった。「今日は●●んとこのクラブでも行こうぜ!」。「▲▲クン、インド帰りだって?どうよ調子は?」。ワイワイと仲間うちでつるむ世界。そこはあたかも日本のようで、渋谷や池袋に迷い込んだあの嫌な感覚と全く同じだった。


「はぁ~、別の地にでもいくか」。数日をカオサンロードで過ごしたタカは、ガイドブックで見たパタヤへ足を伸ばしてみた。理由はただ、海があるからというだけであった。赤、青、ピンクと怪しげなネオン群が街のそこかしこで踊っている。年老いた欧米人とタイ人女性のカップル、ビールを片手に陽気に街を闊歩する集団、みなTシャツに短パンといったような簡易的な格好をしている。
パタヤは夜の街だった。そして、そこにいるのはカオサンとはまた違った種の人間たちであった。あれほど見かけた日本人は全く見かけない。


誰もがオープンバーや、GOGOバーといった、きらびやかな通りへと足先を向けている。鼻の頭を真っ赤にした白人が、カウンター越しに若い女の子とニヤニヤ話しこんでいる。「いや、これもまた付いていけない世界だな・・・(冷汗)」。初めはそう思ったタカだったが、メイン通りを外れた自分の宿近くにある、しらけたオープンバーには何か親しみが沸いた。無類の酒好きという性分もあった。「ハロー、ウェルカム、インサイド、プリ~ズ」。顔立ちとは全くそぐわぬ派手な厚化粧と衣装をまとったオバサンたちが、タカを呼び込んでくる。何とも言えぬ場末の雰囲気は、内向的な性格のタカにはピッタリだった。



昼過ぎに起きるとビーチへと足を運ぶ。海沿いのカフェテラスで読書をし、気が向けば日記も書く。そして、夕方過ぎに一度部屋に戻ると、夜はホテル前にある場末バーでだらりと酒をたしなむ。そんな日々が続いた。そして、それはタカにとっては心地よい毎日だった。「サワディーカップ」。「I drunk サバイサバーイ」。持参してきた
タイ語本を片手に、店の女性たちとたわいもない会話を楽しんだ。だが気になるところもあった。自分にはあまりそんな態度はとらなかったが、やはり店の女性たちは、他の客(欧米人)に愛想を振りまき、艶かしい態度をとっては、彼らに手を引かれて店を後にすることも少なくなかった。


「そうか、これも彼女らの仕事の一環なのか・・・」。アジアの実態というものを垣間見たような気がした。そして、タカはその中でも特に一人の女性に目を奪われることが多くなった。アン(仮名/28歳)。凛とした大きな瞳と、タイ人にしては色白の肌。冗談を言っては屈託なく笑う彼女の笑顔が好きだった。決して美人とは言えないが、それでも愛嬌のある彼女に好意を抱き、彼女と店を出ようとする客は大勢いた。そして、アンは特に自分から人を選ぶこともせず、いろんなタイプの男性たちと店を後にした。タカは、それが彼女の仕事であることも分かっていたし、特にそのことに関して特別な感情はなかった。ただ、そんなとき、他の男と手をつなぎながらも、無邪気な笑顔でバイバイと手を振る彼女を見ていると、何か切ない思いに駆られた。



居心地のよい空間もあっという間に時を刻んだ。そして、10日が過ぎ、パタヤ滞在も2週間を迎える頃、タカはアンに
恋心を抱く自分を感じ始めていた。常夏の楽園、微笑みの国の住人。そんな表向きのアジアの顔にも、裏にひそむ夜の顔はあった。当然ながら理解はしているつもりだった。だが、談笑する皆の輪の中で、時折見せるアンのさびしそうな顔、そんなふとした表情でさえ敏感に感じ取ってしまう自分が嫌だった。彼女のために何かしてあげたいと思う自分の気持ちに戸惑いを感じた。「俺はすでにアンに恋をしてしまったのだろうか」。毎晩のように国際電話をかけてきてくれる日本の彼女には悪かったが、ホテルの部屋に戻っても、アンのことを考える時間は多くなった。


夜の仕事を生業とするアンの現実。「自分はしょせん観光客、タイ語もろくに話せないし、彼女のことなんてまだ何も知らない、それなのに恋か・・・」。自分の感情がこっけいに思えた。アンに限らず店の女性たちは、毎晩、満面の笑みでタカを迎え入れてくれる。一緒に一気をして酒を飲んだり、ゲームをして盛り上がったりした。ときに見せる子供のような無邪気な顔、酔っ払ったたちの悪い客を相手にするときのうんざりした顔、そして、客と一緒に連れ立って店を出る際の何か
決意めいた顔。タカはそんな彼女たちの幾通りもの表情を繊細に組み取っては、嬉々とし、時には哀しい気持ちになった。「なぜ彼女たちはこういう夜の仕事をするようになったんだろう」。疑問は膨らむ一方だったが、そんな個人的なことを聞く自体失礼なことだと思われた。ただ、一般とは違う何か特別な理由があってのことだろうと心に留めた。



「アン!プレゼント、フォーユー」。ある晩、タカは通りを歩く物売りから買った
一厘のバラをアンにあげた。一本たった10バーツの花。それが今のタカのアンへの気持ちだった。彼女の仕事は理解している。こういう夜の世界のシステムというものもおおよそながら把握した。ただ、その他の客と同じように店で淫らに振る舞い、金銭で彼女を連れ出す。そういう行為だけには、どうしても抵抗を感じた。「日本円でたった数百円を支払えば彼女を外に連れ出すことが出来る」。「ここではないいろんなところに行き、話をしたり、食事をしたり恋人のようなデートをすることが出来る」。でもタカにはそれが出来なかった。



最近では、アンもタカに心を許すようになってきた。店に顔を出せば、イの一番でタカのそばへと近寄ってくる。店の中だけで存在する二人の空間。タカは、もうそれだけでは満足出来なくなってしまった自分を感じた。我慢の限界だった。





そして、ふと気づくと、タカのタイ滞在もビザ切れの期限、日本への帰国が迫っていた。。(後編へ
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