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「早く賄賂くれや・・」としか僕には聞こえません。しかし、数々の国の入出国スタンプがびっしり押されているパスポートの前に、彼らも諦めたらしく、帰国のEチケットを叩きつけると「こんな紙切れ・・」みたいな感じで早く行け行け!と手を払われ、ようやく入国。「はぁーー、嫌な国来ちゃったなぁー」が最初の印象。
空港を出るとすでに深夜。「えっ?国際空港なのに両替所が全部クローズ・・(汗)」。というわけで、その辺の闇両替商でエクスチェンジ。US1=9.000RP(バンクレートUS1=9.150RP)で、US20(180.000RP)だけ交換する。勿論バスもすでに終了。タクシーで街まで12万RP(言い値20万RP)。時刻はAM1:30。朝になればバスも走る。マクドナルドで今後のプランを考えるのに、ちょうどいいか。で朝までマック・・。(徹夜)
朝、バスに乗って宿探し(市内まで1万RP)、マンガべサールという通りのホテルにチェックイン。昼になり街に出てみた。中々の都会、そして、大渋滞(間違いなくバンコクを抜いて世界1位?)。しかし、ジャカルタにはバス専用車線があり、バスは渋滞に影響されない感じ。
銀行に出向いた。街歩きでは通りすがりの人々に道を聞いた。驚くほど皆、昼下がりの忙しい時間だというのに、この言葉もろくにしゃべれない僕に対し、優しく丁寧な対応。オフィスワーカーの人までもが、本当に忙しい中親切に(両替レートの良い両替所までの丁寧な地図まで書いてくれて・・)。皆さんがどう感じられているかは解りかねますが(?)。昨今のタイ(バンコク)辺りでは、言葉もろくにしゃべれない外国人に対し、オフィスワーカーなぞは、「ワタシャ、イマ、ハナクソホジッテルノヨ、フンフン・・」なんてのが当たり前になっているのが現状。うむ、いいじゃないですか、インドネシア。僕はすでに空港での嫌なイメージがすっかりなくなってる自分に嬉しくなっていた。
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夕刻、各駅停車の電車に乗ってみると、なんとドアの扉が開けっ放しで走り出した。おそらく1番貧しい層の人々が乗るであろうこの電車。街歩きでは見れなかった裏からみえる町並み、大都会とスラム。混沌と猥雑、豊かさと貧しさ。それらが開けっ放しの扉を流れすぎ、ふと夕闇のかなたからコーランの調べ♪。車内にいる多くの物売りの掛け声と交わり、えも言われぬ響きを奏でている。
そんなトランス状態に近い居心地の良さにしばらく包まれていると、ふと懐かしさが込み上げてきた・・。それは、かつて20数年前に初めて訪れたバンコク。古き良き時代の人々が、貧しさと向かい合いながらも、純粋な笑顔で満ち溢れていた、あの頃の感じ(雰囲気)だった・・。 |
老いた人に席を譲る若者、いやみのない物売り、ものめずらしそうに僕を見上げる子供たちに、微笑み返す僕。どこから来たのか訊ねてくる周りの乗客、日本人だと答えると英語の解る人が皆にそのことを伝える。
一斉に、「この電車は日本製のお古だけど、日本の技術はすごい。日本はすごい。お前はすごい??オオー!!」とわけもわからぬギャグで笑う人々。その笑顔には妬み、乞、欲を裏に隠すどこかの偽微笑の国とは一線を画す、本当の優しさに満ちた笑顔があった。
そして、ジャカルタの夜。
少し危険な匂いのするスラムの中の1件の置屋BARに潜入。
「なぜ?いきなり?初日に?」。
そう、ここジャカルタは物価が高い。10万RP(US11)で、いたせるのは、こういう所しか無いらしくハジャイ(シクロ)の親父いわく、「薦められない。良くない。危ない・・」。が、数十秒後にはニヤニヤしながら「オッケーゴー!!」と交渉成立。この観光客らしからぬヘンタイ外国人に対し、渋々重い腰をあげる羽目になったシクロ親父。いざ郊外へ―。 (後編へ)
文提供/ビレッジK氏 |
アジアをこよなく愛し、通い続けること早や20年以上。自由の地を探し求め続けるオトコ(40代)。職業は「トレジャーハンター(自称)」。国境地とか辺境地とか危険な地帯が好き。大好物はビアチャーン。心はピュアな助べえオッサン日本A代表。好きな食べ物:もぎたてアジアの果実/嫌いな食べ物:都会で売れ残った渋い果実。
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